読んだの記2 義太夫節浄瑠璃未翻刻作品集成 18 『梅屋渋浮名色揚』

松田和吉作。享保15(1730)年頃。梅屋由兵衛物。   由兵衛が善人として描かれている、ようだが、人物像に統一感がない。それは地の文が、由兵衛の義理堅さを謳っているのだが、中の巻で叔母に無心した金を落としたり、上の巻に、旧主の妻(匿うため妾と見せかけた)小梅に恋慕する小六をやりこめる腕っぷしの強さを思わせたのに、中の巻になると、借金を取り立てに来た小六と喧嘩すると互角だったり、女房お吉が自分の弟長吉を殺して金を奪い取ろうと提案したことに対して、一旦断っておきながら、結局長吉と二人きりになったときに絞殺するあたりなど、旧主のための義理堅さはさておいて、不注意で、はったりをかましながら刹那的に生活しているようにしか見えないので、あまり同情できない。それも地の文による責任が半分(残りの半分は設定)はあるので、つまり作者視点が由兵衛に加担せず、そもそも由兵衛がどうやって生計をたてているか書いていないのだから、素直に半人前の人間として扱えばよかったのだ。女房のお吉も、弟を殺そうというのが、金を一時的に預けに来た所で思いつくのだが、心理的プロセスをふっ飛ばし過ぎているので人間味が感じられない。そうかと思うと夫の旧主に心砕いたり、夫や死んだ長吉を思って涙したりと随分情緒と思考が不安定で夫並みに刹那的である。もっとも、由兵衛の描写ほど地の文が人物像を押し付けてこないので、強いてそういう人物であると見えなくもないのだが…。

 欠点はそういった人物像の描写だが、由兵衛の叔母はものに動ぜず分別もありながら、慈愛のある人物としてストレートに描かれているので由兵衛と対照的で(「千本桜」の権太の母親のように騙されやすく、情に流されやすい人間というわけではないので)面白い。

 また、最初に道行を持ってきたり(それはこの作品だけではないが、こういう登場人物の伏線の張り方はその後の展開に興味を引くだろう)、中の巻冒頭、節季前の商売人の描写や、下の巻で由兵衛が捕まるまでのシチュエーションなど、面白い所はいくつかある。辛うじて佳作のような出来の作品である。