読んだの記4『義太夫節浄瑠璃未翻刻作品集成 ] 信州姨拾山 (義太夫節浄瑠璃未翻刻作品集成8)』

以前フェイスブックに残した感想から転載(2017.5.16のもの)。

 

望月太郎兵衛の造形がユニーク。他の作品ではあまり見ない智者振りに説得力がある。前半で首実検を景事風に描写しているのも珍しい物語構成。

 

望月は案外常識人だったので、あらぬ期待をかけてしまった。人物で光るのは、岩橋、新八の母の姨(名はない)が気丈さや機転でかつ慈愛ある造形で個性がそれぞれ描けていると思う。畑は軍師的な智者ということだが、望月と違い智者らしさを顕している場面がないのが残念。場面構成としては、二段目の身替わりが能の「景清」を舞、囃すのに事寄せて似せ首を仕立てるという趣向。描写が秀逸だと思う。ただし善治が鳥目で岩橋が似せ鳥目というのは何か無用な紛らわしさがあると思う。三段目は文之進の父殺しの犯人が二転三転するなど推理劇的な面白さがあり飽きさせない。ただこの下手人は身を持ち崩していた頃の望月で、随分あっさり討たれてしまうのが前半の大きな器量を感じさせる言動と釣り合わぬような気がする。語りかた、演じかた次第であろうが、難しい所だと思う。

 

全体的に言えば、傑作ではないにしろ、良作であると思うし、好事家ならば一読の価値はあると思う。

読んだの記その3「禅鳳雑談」(『古代中世藝術論』所収<1980 岩波書店>)

 「大原御幸」や「芭蕉」のような金春禅竹(1405-1470?)の作品が好きになって、彼の孫、禅鳳(1454-1532)の芸論があることを知って『古代中世藝術論』所収の「禅鳳雑談」だけを抜き出して読んでみた。上・中だけで下は何処なのだろうか。解説(守屋毅による)ではそのことは触れられていない。

 貴族や寺社だけでなく、当時から既に「坂東屋」とか町屋の素人の旦那衆との交流が盛んであったということだ。各巻奥書も「藤右衛門尉聞書」とありこれも素人弟子であろうことしか分からないらしい。

 そういった由来のためか、世阿弥の残した「花伝書」のような能についての原理的な考え方よりも、謡や舞についての具体的な指南が大分である。それで思い浮かべるのは「喜多六平太芸談」である。こちらも、本人が著述したわけではなく、折に触れて受けた指導や雑談を弟子たちが書き残したもので、かなり趣は近い印象だ。「六平太芸談」の方が現代口語文なので当然こちらの方が読みやすくはあるが…。

 文中に出てくる演目は、廃曲もあるが、「相生(高砂)」「東北」「野宮」「松風」「遊屋(熊野)」「芭蕉」など現在でも馴染みの演目ばかりだ。しかし500年も前ならば現在とかなり違っていたであろう。世阿弥の残した伝書などによれば、当時は笛が謡の旋律に合わせて演奏されていたということだそうであるが、『雑談』の中でそのような現在の能楽との相違点が如実に分かる所はなかったように思う。ただ「幽玄」をもととすることは

一、祝言の声付(こわつき)

中略

さて幽玄と申は枝などの心にて候。それより出候(が)哀傷・恋慕にて候。是は葉・花などのごとくにて候。(P.505)

 

と、「幽玄」あっての心の表現であることを明言している。世阿弥によって築かれた能楽の大前提の理念「幽玄」は、当然の如く演者たちによって共有されていたのだろう。ではさて、「幽玄」とは…世阿弥のを読まねばならないのだろうなぁ、と私は掻首するのだ。ある人曰く、「幽玄」とはそもそもが俊成の歌論から出てきたのだ、と。もうそこまで踏み込んでしまうと、私の方が先に幽玄ならぬ日暮れて遠き道に幽冥の境をさ迷うことになりかねないのではないかと、そぞろ煩悶に堪えぬのであった。

読んだの記2 義太夫節浄瑠璃未翻刻作品集成 18 『梅屋渋浮名色揚』

松田和吉作。享保15(1730)年頃。梅屋由兵衛物。   由兵衛が善人として描かれている、ようだが、人物像に統一感がない。それは地の文が、由兵衛の義理堅さを謳っているのだが、中の巻で叔母に無心した金を落としたり、上の巻に、旧主の妻(匿うため妾と見せかけた)小梅に恋慕する小六をやりこめる腕っぷしの強さを思わせたのに、中の巻になると、借金を取り立てに来た小六と喧嘩すると互角だったり、女房お吉が自分の弟長吉を殺して金を奪い取ろうと提案したことに対して、一旦断っておきながら、結局長吉と二人きりになったときに絞殺するあたりなど、旧主のための義理堅さはさておいて、不注意で、はったりをかましながら刹那的に生活しているようにしか見えないので、あまり同情できない。それも地の文による責任が半分(残りの半分は設定)はあるので、つまり作者視点が由兵衛に加担せず、そもそも由兵衛がどうやって生計をたてているか書いていないのだから、素直に半人前の人間として扱えばよかったのだ。女房のお吉も、弟を殺そうというのが、金を一時的に預けに来た所で思いつくのだが、心理的プロセスをふっ飛ばし過ぎているので人間味が感じられない。そうかと思うと夫の旧主に心砕いたり、夫や死んだ長吉を思って涙したりと随分情緒と思考が不安定で夫並みに刹那的である。もっとも、由兵衛の描写ほど地の文が人物像を押し付けてこないので、強いてそういう人物であると見えなくもないのだが…。

 欠点はそういった人物像の描写だが、由兵衛の叔母はものに動ぜず分別もありながら、慈愛のある人物としてストレートに描かれているので由兵衛と対照的で(「千本桜」の権太の母親のように騙されやすく、情に流されやすい人間というわけではないので)面白い。

 また、最初に道行を持ってきたり(それはこの作品だけではないが、こういう登場人物の伏線の張り方はその後の展開に興味を引くだろう)、中の巻冒頭、節季前の商売人の描写や、下の巻で由兵衛が捕まるまでのシチュエーションなど、面白い所はいくつかある。辛うじて佳作のような出来の作品である。

読んだの記1 ブッツァーティ『タタール人の砂漠』(脇 功訳 2013年 岩波書店)

 傑作、かどうかは分からないが、間違いなく記憶に残る良い作品だと思う。

 この人には「イタリアのカフカ」という賛辞があるらしい。が、あまり当てはまるところはないような気がする。カフカの作風は、アナロジカルな例えだが、文学のキュビズム(ただし私はキュビズムに理解がないのだが、キュビズムの意味を仮に敷衍した上でのものいい)で現れている文章、出来事、表現は複義な印象なのだ(読み馴れていない人には無意味か、茫漠すぎて意味を感じず、困惑させ、いらいらさせる)。表現されている形象に対して解釈が必要、あるいはそう感じざるを得ないのだが、ブッツァーティのこの作品は曖昧さはあっても、不条理でも超常現象でもなく、自然主義印象主義的なもので、一部そのように思われる章立てもあるが、あくまで作品の中で完結する象徴的場面で(一瞬『百年の孤独』を想像させた)人をして迷わせるものではない。

 管見だが、記憶を辿ると、何か通ずるものがあると想い起こさせたのが、トーマス・マンの『魔の山』だ。かたや士官として希望を抱いて任地に赴き、かたや病気の療養で、漠たる不安をかかえサナトリウムに引き籠もる。かたや日々に何か目的を見出そうとし、かたや日々に閑暇を持て余す。しかしどちらも、些細な出来事が(当事者にとっては大きいものもあるが)不意に積み重なった末に最後は突然訪れる。かたや老病の末に、かたや突然の召命に。

 勿論『魔の山』、『タタール人の砂漠』それぞれ読んだ印象や面白さは違う。前者は観念的で密、後者は自然主義的で疎だ。それは舞台としている場所や環境、時代、何より作者の人生の違いだが、どちらも一生の来し方行く末を思わずにはいられない強さがある。

 それにしても今から十数年以上も前に『魔の山』を、今『タタール人の砂漠』を読んだのが奇縁に思えた。

ジャン=エミル・マルクー(ヴァンニ・マルクー)

歌手(声楽)の好みが独特過ぎて、大概理解されない。まず古すぎる。私自身の好みだけで動画を散策すると、気付いたら骨董並の歌手ばかり物色している時があった(最近は余り見る余裕がない)。

 一度だけ、もう20年以上前か、かのSPレコードにおける牙城、富士レコード社で、ただの一度だけ声楽のSPレコード(78回転。82回転のものもあったらしい、どれ程が知らないが)を買ったのだが、その歌手がヴァンニ・マルクーだった。

 何で買ったか自分でも分からない。その時はこの歌手がフランス人であることと、バス・バリトンであることぐらいしか分からなかった。この十数年程度で、それ以前より声楽歌手について網羅した本もある程度出たが、当時では日本語だけの文献でヴァンニ・マルクーの名前がのっている本はおそらくなかったと思う。レコードの片側がデュパルク作曲の「ロズモンドの館」で、もう片側がシューマンの「noyer」(「Le」があったか知らん)あに図らんや、「Der Nussbaum」(くるみの木)であった。聴いた当初はどう思ったか、何だか面白い声と、歌い方だなくらいには考えたような気がする。

 ともあれ「ロズモンド」の方はすぐに好もしく聴いた。最初にこの曲を聴いたのは(これまた古くて御免あれ)シャルル・パンゼラだった。バス・バリトンのせいか、ヴァンニ・マルクーはパンゼラより低く移調している。が、私はそもそも低声が好きだったことと、パンゼラとは別種の味わいを感じ繰り返し聴いたのだった。後で知ったことだが、原調は高声用のようだ。現代の優れたテノールの一人ローレンス・ブラウンリーが、暗い情熱を素晴らしい歌唱で聴かせている。まあ原詩の方は、意味が分らない所が多いのだが…。そうではあるものの、歌手の好みから曲の印象を育んでいた私は「ロズモンド」が高声と知った時、いささかがっかりしたのだった。それはともあれ「くるみ」の方も歌唱も、フランス語であるにも関わらず次第に好きになったのだった。あの曲調はフランス語の柔らかさにも合っているのでは、とすら思える。

 今このマルクーのような歌い方をしたら専門家でなくとも失笑するかも知れない。何せクセが強い。あまり聴き慣れないヴィブラートに、時折、特に高い音程でピッチがやや低めに聴こえる。それから、おそらく妙に長めに歌いがちで、テンポがモタつくようだ。それにバスともバリトンともバス・バリトンともつかない声で、バロック以前の様式なら知らず、おそらく19世紀以降の作品がレパートリーだったであろうから、人によってはテノールと聴き紛うかも知れない。しかし歌いまわしの優雅さと、発音も含め、言葉が美しく聴こえるのは、天分にせよ努力にせよ賜物だろう。単に聴き取りやすいと言うより、言葉の扱いも芸術的と賛辞したくなる。物の本によれば、大きくははないが、よく響く声だったという。そして、これまたどこで読んだか忘れたが、意外にもトスカニーニは、シャリアピンよりも、マルクーのボリス・ゴドゥノフを好んだらしい(シャリアピンがわがままだったせいもあるかも知れないが)。この声でボリス・ゴドゥノフも恐れ入るが、YouTubeで録音が聴ける(何という素晴らしい時代だ)。「時計のシーン」で殺したはずの皇太子の幻覚を見た時、ボリスが「あれは誰だ!」と絶叫する件りがある。シャリアピンのそれも迫真だが、マルクーは、これが本当に絶叫しているのだ。しかもなかなかに鬼気迫っていて(当時なので、当然歌手の母語、つまりフランス語なのだが、それでも)、絶叫具合はシャリアピン以上である。マルクーのノーブルさに感心していた私は大分驚いたが、演技もなかなかだったようだ。

 ふと調べたら、生年が1877年、没年が1962年という。さても古い人であることよ。全集CDも出ているようだ。今は流石に手が出ない。手が出る頃には廃盤になっているかもしれない。