ジャン=エミル・マルクー(ヴァンニ・マルクー)

歌手(声楽)の好みが独特過ぎて、大概理解されない。まず古すぎる。私自身の好みだけで動画を散策すると、気付いたら骨董並の歌手ばかり物色している時があった(最近は余り見る余裕がない)。

 一度だけ、もう20年以上前か、かのSPレコードにおける牙城、富士レコード社で、ただの一度だけ声楽のSPレコード(78回転。82回転のものもあったらしい、どれ程が知らないが)を買ったのだが、その歌手がヴァンニ・マルクーだった。

 何で買ったか自分でも分からない。その時はこの歌手がフランス人であることと、バス・バリトンであることぐらいしか分からなかった。この十数年程度で、それ以前より声楽歌手について網羅した本もある程度出たが、当時では日本語だけの文献でヴァンニ・マルクーの名前がのっている本はおそらくなかったと思う。レコードの片側がデュパルク作曲の「ロズモンドの館」で、もう片側がシューマンの「noyer」(「Le」があったか知らん)あに図らんや、「Der Nussbaum」(くるみの木)であった。聴いた当初はどう思ったか、何だか面白い声と、歌い方だなくらいには考えたような気がする。

 ともあれ「ロズモンド」の方はすぐに好もしく聴いた。最初にこの曲を聴いたのは(これまた古くて御免あれ)シャルル・パンゼラだった。バス・バリトンのせいか、ヴァンニ・マルクーはパンゼラより低く移調している。が、私はそもそも低声が好きだったことと、パンゼラとは別種の味わいを感じ繰り返し聴いたのだった。後で知ったことだが、原調は高声用のようだ。現代の優れたテノールの一人ローレンス・ブラウンリーが、暗い情熱を素晴らしい歌唱で聴かせている。まあ原詩の方は、意味が分らない所が多いのだが…。そうではあるものの、歌手の好みから曲の印象を育んでいた私は「ロズモンド」が高声と知った時、いささかがっかりしたのだった。それはともあれ「くるみ」の方も歌唱も、フランス語であるにも関わらず次第に好きになったのだった。あの曲調はフランス語の柔らかさにも合っているのでは、とすら思える。

 今このマルクーのような歌い方をしたら専門家でなくとも失笑するかも知れない。何せクセが強い。あまり聴き慣れないヴィブラートに、時折、特に高い音程でピッチがやや低めに聴こえる。それから、おそらく妙に長めに歌いがちで、テンポがモタつくようだ。それにバスともバリトンともバス・バリトンともつかない声で、バロック以前の様式なら知らず、おそらく19世紀以降の作品がレパートリーだったであろうから、人によってはテノールと聴き紛うかも知れない。しかし歌いまわしの優雅さと、発音も含め、言葉が美しく聴こえるのは、天分にせよ努力にせよ賜物だろう。単に聴き取りやすいと言うより、言葉の扱いも芸術的と賛辞したくなる。物の本によれば、大きくははないが、よく響く声だったという。そして、これまたどこで読んだか忘れたが、意外にもトスカニーニは、シャリアピンよりも、マルクーのボリス・ゴドゥノフを好んだらしい(シャリアピンがわがままだったせいもあるかも知れないが)。この声でボリス・ゴドゥノフも恐れ入るが、YouTubeで録音が聴ける(何という素晴らしい時代だ)。「時計のシーン」で殺したはずの皇太子の幻覚を見た時、ボリスが「あれは誰だ!」と絶叫する件りがある。シャリアピンのそれも迫真だが、マルクーは、これが本当に絶叫しているのだ。しかもなかなかに鬼気迫っていて(当時なので、当然歌手の母語、つまりフランス語なのだが、それでも)、絶叫具合はシャリアピン以上である。マルクーのノーブルさに感心していた私は大分驚いたが、演技もなかなかだったようだ。

 ふと調べたら、生年が1877年、没年が1962年という。さても古い人であることよ。全集CDも出ているようだ。今は流石に手が出ない。手が出る頃には廃盤になっているかもしれない。